はじめまして!

 

 

 

 心理カウンセラーの富田あさひです。

 

私が過去のことをお話しする目的は、

 

●私と同じような境遇や精神状態にある人がいるとするなら、その方が自分だけではないと思ってもらうため。

 

●子供のころは苦しくても、大人になれば自由になれるんだと希望を持ってもらうため。

 

●人は変わることができる。ということを伝えるため。

 

実際に体験してきたからこそ、わかることがある。本当に心から共感できると思っています。

 

私は頭も良くないし、心理学の知識もたいしたことはないです。

 

でも、体験をしてきたからこそわかる辛さや思い、本当に必要なことなど

 

クライアントさんの痛みを感じることことができると思っています。

 

そして、過去のわたしのように悩んでる人や子供を助けたい!!

 

その思いだけでカウンセリングルームをはじめました。

 

一時は自分の汚点とも言える過去をさらけだしてしまうと、家族にや周りの人に嫌なおもいを

 

させてしまういのでは。。。と悩んだりもしました。

 

でも過去を思い出してみると、私が病んでいたときに信用できた人は、何でも隠さずに話してくれた人でした。

 

だから、「私も包み隠さず話そう。そうしないと信用してもらえない。」と思い決意しました。

 

細かい出来事まで説明すると、かなり長くなってしまうので、ここでは大まかな流れをお話しさせていただきますね。

 

 

 

 

 

富田あさひ 1970年に産まれました。

 

幼少期の頃の私は、父親からの遺伝なのか、気の小さい暗い女の子でした。

 

家族構成は、両親と姉と叔母の5人で、一緒に暮らしていました。

 

叔母には知的障害があったようで、そして対人恐怖症でもあったので、

 

母が面倒をみることになり、一緒に住んでいました。

 

父は塗装業で、母は居酒屋を自営していました。

 

姉は生まれた時にへその尾が首にからまったため、脳性麻痺になり

 

身体障害者となってしまいました。

 

 

 

子供の頃のことはあまり記憶がないのですが、

 

母は夜の仕事で家にいないし、父は毎日飲み歩いていました。

 

母と父が夜中に夫婦喧嘩を毎日のようにしていて、

 

その声が聞こえるため、怖くて夜も眠れなかった記憶があります。

 

そして、父の怒鳴り声と、暴力もよくあり、

 

いつもびくびくしていました。

 

私は「早く死にたい」と思うほど、暗い幼少期を過ごしていました。

 

 

 

私と身体障害者の姉の世話は、叔母が担当でした。

 

ほとんどネグレクトに近い状況で、

 

父のDVなどもあり、今思えば

 

かなりのストレスにさらされていた子供時代でした。

 

もともとの暗い性格と、友達との距離感もわからない私は、

 

友達ができず。

 

学校でも仲間外れ状態でした。

 

中学のころは姉が精神病で毎日泣いていたりしたので、

 

家庭でも学校でも私の安らげる場所はありませんでした。

 

 

 

そして高校生で初めて彼氏ができ、ヤンキーの彼氏の家で

 

同棲させてもらいました。

 

その時初めて安らげる場所ができたのだと思います。

 

でも、幸せは長く続きませんでした。

 

手に入れたものをなくしてしまう怖さとの戦いです。

 

私は彼の浮気や心変わりが心配で、彼に執着していました。

 

自分に自信がない私はストーカーのようでした。

 

 

 

同棲をして何か月かすぎたころ、妊娠が発覚しました。

 

子供を育てる自信なんてあるはずもなく、

 

両親には黙って病院で中絶手術をうけました。

 

私は勝手に「こんな私を受け入れてくれるのはもう彼しかいない。」

 

と思い込みました。

 

そんな自分のことしか見れていない私から、だんだん彼は離れていきました。

 

 

 

そして、21歳の頃、彼から別れ話を切り出されました。

 

彼の決意は固まっていて、

 

私が泣こうがわめこうがダメでした。

 

「彼がいないと生きていけない」と思い込んでいた私は、

 

絶望して自殺未遂をしてしまいました。

 

今思えば、人生のどん底でした。でも死ぬ勇気もないとわかった私は、

 

「生きていくしかない」と腹をくくりました。

 

 

 

それからの私は、自分を変えるために心理学に興味を持ち、

 

勉強しつつ、カウンセリング・セラピー・占い・気功など

 

いろいろなところに相談したり学んだりしてきました。

 

でも、マイナス思考や自分が嫌いな思いは、なかなか改善しませんでした。

 

 

 

その後31歳で結婚することができ、やっとまた幸せになれたと思ったのですが、

 

本当の自分を出せずに結局苦しくなって、離婚。

 

しばらくして、今の夫と出逢いました。今の夫には自分を出すことができ、

 

子供にも恵まれ今度こそ幸せに・・・

 

しかし、そんなに甘くはありませんでした。夫がうつ病で仕事を休職して、そして退職。

 

しばらくは貯金で生活することになりました。

 

1~2年で再就職するだろうと思っていましたが、夫の職探しはうまくいかず、私はまだ娘が小さいので働けず、

 

どうすることも出来ない中、不安でストレスがどんどん溜まっていきました。

 

就職のことで夫との喧嘩が絶えず、精神的に病んでしまいました。

 

 

 

その時に出会ったのが神道の教えでした。伊勢神宮にお参りに行ってから、嘘のように回復しました。

 

そして、夫の就職のご縁がいただけたり、私の鬱も治ったり好転していきました。

 

神道の教えから良心にしたがって生きていれば全てがうまくいくという実感を得てからは

 

どんどん変わっていきました。

 

人づきあいが苦手でしたが、幼稚園のママ友もでき、役員の仕事をやることにも挑戦できました。

 

まともに挨拶するのさえ怖かった私が信じられませんでした。

 

そうして、少しずつ自分に自信がついていきました。

 

主人も前は些細なことイライラしてしまう繊細な人でしたが、イライラが減り、仕事もうまくいって

 

給料もアップしていきました。一戸建を購入することになり、充実した生活を送っていました。

 

 

 

でも少し不安がありました。私の更年期障害の症状が出てきて、

 

体がだるくて何かをする気力がないということが増えました。

 

体調がいまいちでした。

 

 

 

しばらくしたある日、私の母が倒れました。

 

何年も実家に行ってなかったのですが、久しぶりに行ったら

 

想像を絶する状況でした。

 

母は、車で自損事故をおこして、あばらを骨折して安静にしていなきゃいけない状態。

 

そして、めまい、息切れが酷く少し歩いただけで、疲れてハアハア言っていました。

 

そして姉はアルコール依存症でほぼ寝たきりの状態、何の夢も希望もなく生きていました。

 

叔母は認知症で何度も徘徊して警察にお世話になっていました。

 

さらに家の中と家のまわりも、もらってきた服や日用品などが山と積まれて、

 

足の踏み場もないくらいのゴミ屋敷。

 

私はびっくりしている暇もなく、私が助けなきゃいけないと思い必死に動きました。

 

今こそ母に恩返しのチャンスと考えて、名古屋から一時間半かけて実家に通い、

 

ゴミ屋敷の処理や介護認定の手続き、病院の付き添いなど、懸命に援助しました。

 

パートの休みの日はほとんど実家のことを考えていたし、行動していました。

 

本当に大変でしたが、夫には頼めず、ほとんど一人でこなして、一年。

 

山奥の交通の便の悪い実家から、交通の便のいい街中にアパートを借りました。

 

運転免許の返納をすすめ、車を処分したり

 

母を説得しつつ、安全な暮らしを目指してサポートしていきました。

 

だんだんと、母の体調も回復して元気になりました。

 

どうやら栄養失調だったらしく、主人のすすめた栄養剤を

 

飲むようにしたら、みるみる元気になりました。

 

 

 

ならば、次は姉のアルコール依存症の治療や精神病のケアです。

 

20年も通っていた病院では良くならないので、病院を変えました。

 

断酒会にも私も付き添って入り、対人恐怖症の姉をサポートしました。

 

その結果、断酒に成功して寝たきりの生活から脱出しました。

 

姉が順調に回復してきたころ、今度は母の身勝手な行動が多くなってきました。

 

お金の管理もままならなかったので、

 

私が管理して、毎月の生活費として十分な金額を渡しました。

 

でも、母は高価な生うにや、高級いちごを箱で買って浪費したり、

 

あげくには、姉の病院代も使ってしまって、

 

姉が病院に行くお金がないと連絡がきたりしました。

 

それから、文句も多くなってきて、

 

ごみ屋敷の処分にも私のやり方が気に入らないと言ってきたのです。

 

きちんと説明してその時は納得していたのに、

 

元気になったとたん、ホントは捨ててほしくなかったとか

 

免許を返納したから、どこへも行けない。

 

など文句ばかり言うようになりました。

 

私は、ご迷惑をおかけした、包括支援センターの方や

 

近所の方のことまで悪口を言う母に怒りが込み上げてきて

 

大喧嘩をしてしまいました。

 

 

そして、いろいろ調べるうちに

 

母は毒親だったことに気づいたのです。

 

自分のことしか考えられない、精神的に子供。

 

しかも発達障害だったのです。

 

私はショックで今までの人生、母への恩返しをずっと考えてきたのに

 

私の気持ちがほとんど届いていない、

 

全て無駄だったと思うぐらいの喪失感で、また鬱になってしまいました。

 

そして、このまま姉を母のところに置いておいたら、

 

共依存で自立できないと考えた私は

 

姉を説得して名古屋の私の家の近くに引っ越しをするようにすすめ、

 

お手伝いをしました。

 

母は姉に、「おまえは裏切るのか!出ていったら二度と戻れないぞ!」

 

と脅していましたが

 

姉には「私がいるから大丈夫だよ。」と言って呼び寄せました。

 

 

 

無事姉を救出してからは、母とは距離をおいて姉のことだけに集中しました。

 

体も回復して散歩もできるようになり、順調に立ち直ってきたので

 

姉に「もうそろそろ作業所で仕事をしてみない?」

 

と持ちかけました。

 

精神的な部分では、まだ姉にうつの傾向がありましたが、

 

仕事に行ったり仲間ができたりしたら、気がまぎれると思っていました。

 

最初は本人もとても前向きで、がんばる!と言っていたのですが、

 

2ヵ月ぐらいたったころ、仕事で怒られる。とか

 

私は嫌われていると悩んでいました。

 

そこで、管理者の方にお話を聞くと、

 

姉に対して言っていなくて、他の人に言っているのを勘違いしている。

 

と話してくれました。

 

また、それとは別にやさしく話かけてくれる

 

男性を姉は好きになり、片思いで悩んでいました。

 

そんなことが重なり、ストレスがMAXになり

 

結局辞めてしまいました。

 

そこで、もしかして発達障害かもと思い、心理検査をしたところ

 

やはり発達障害ということがわかりました。

 

姉は普通に大人の考えが理解できていたので、私はまったく気づきませんでした。

 

精神年齢も幼いので、大人として見てはいけないのだということに気が付きました。

 

 

 

それから更に、私は心理学などの本をたくさん読み、

 

発達障害や毒親について研究しました。

 

カウンセリングをうけたり、夫に相談したり、様々な療法を試していきました。

 

中でも栄養療法。ある広島の精神科のお医者さんが出している本で、

 

たんぱく質とビタミンをバランスよくとる方法を知りました。

 

それをまず、主人が試してみたところ、

 

体調がかなり良くなり、

 

長年主人が悩んでいた、下痢や皮膚病が治り、

 

続いて私も実践したら、更年期障害もほぼなくなり

 

鬱っぽい症状が改善されました。

 

障がい者の姉にも実践してもらったら、姉も前より落ち込まなくなりましたし、

 

ヘルパーさんに助けてもらいながら、自立した生活ができるようになりました。

 

そして、全体的に体調が良く、疲れにくくなりました。

 

本当に信じられないくらい変わりました。いまでも娘も含めて家族全員で続けています。

 

 

 

今までの経験で一番感じたことは、

 

自分の感情を素直に人に話すということが、

 

どんなに大切なことかがわかりました。

 

そして本当の自分の気持ちを知ることが大切で、

 

カウンセリングの重要性が実感できたのです。

 

さらには栄養がとても大事。

 

内側と外側の両方から改善していくと、劇的に変わる体験をしました。

 

ぜひ、皆さんにも体験していただきたいと思っています。

 

最後までお読みいただいて、ありがとうございました。

 

今後もブログ記事をいろいろ書いていく中で、私の過去体験の細かなところも

 

入れながら説明させていただこうと思っています。

 

 

少しでもあなたの気づきのきっかけになれれば幸いです。

 

      ~では、また(^_-)-☆~